「それで、何かわかった?」
斜め向かいに座っているローソンの問いに、わたしは頷きで答えた。
わたしたちは再びキッチンに戻り、テーブルと椅子を拝借していた。少し、身体も精神も休める必要があったからだ。おかげで、震えはようやく治まりつつあった。
「あれは……怒りとか、憎しみとか、恨みとか、ねたみとか、殺意とか……そういう全ての悪感情が練り込まれたものだと思う」
テーブルの上で組み合わせた手にぎゅっと力を込めた。
先ほどのことを思い出す。
わたしは、わたしを捕らえているのはローソンだとわかっていた。そうするよう頼んだのも、自分だとわかっていた。
それなのに、魔力に浸食されたわたしの心は、一瞬にしてローソンに対する暴力的な怒りと憎しみで充たされた。その感情は、殺意を抱くまでに発展しかけていた。完全に我を失っていたら、間違いなく彼を殺そうとしたはずだ。
その考えに、わたしは再び恐怖を覚え、ぶるっと身体を震わせた。
わたしの感応力の高さが災いしたのであって、全ての人がこうなるとは限らないけれど……あの血液は、やっぱり安易に触れてはならないものだ。
「で、どんな魔術だったか、ってのは?」
「それは、わからなかった。あんな恐ろしい魔力を練り上げることができるなんてこと自体、今日初めて知ったもの。単純に人を操るだけのものなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
このことについて、わたしは簡単にメモを書いた。後から調査に来るだろう、他のギルドの人や衛兵たちに注意を与えるために。
表に出ると、昼食で交代したのか、先程とは違う衛兵が待っていた。彼はわたしたちの話を熱心に聞き取り、メモを受け取ると、必ずここへ来る全ての人たちに注意すると約束してくれた。
その足で城南の夏風将軍のところへも報告に行ったけれど、祖龍へのモンスターの襲撃に備えて打ち合わせ中ということだったので、秘書官に伝言を残しておいた。
わたしたちにできるのは、ここまで。
わたしは、入りっぱなしだった肩の力を抜いた。とたんにお腹がきゅるると鳴った。そういえば、もうお昼時だ。
「はーあ、お腹空いたなぁ」
情けない声を上げてお腹を押さえると、はは、とローソンが笑った。
「俺も腹減った。なんか食って帰るか」
「うん。……それにしても、あれね」
「何?」
「なんか鉄臭いわ、わたし」
自分の腕をくんくんと嗅いでみる。やっぱり汗に混じって、むわーっと鉄の臭いがする。
「そりゃまあ、鎧着てる奴に抱かれりゃ臭くもなるさ」
「汗かいてたから余計に?」
「んだね。もうこってりと染みついてるね」
「やだなぁ、もう。早く洗わないと。ローソン、帰ったら洗濯よろしくね」
「なんでだよ」
「だってローソンの鎧のせいだし」
「……んじゃ、ルティさんは俺の鎧の錆落とし、よろしくな」
「やぁよ。それに、錆なんて浮いてないじゃない」
「これから浮くよ。汗っかきの誰かさん抱っこしたもん」
「ううーっ、それはっ……」
してやったり、とニヤニヤしているローソン。
くっ、これはわたしの負けか。仕方ない。潔く認めて……。
「錆落としはさすがにムリだぁ。力ないもん。磨くだけで勘弁して」
「うわ、泣きついてきたよ」
「だってホントにムリだもんー」
「はいはい、じゃあきれいに磨いてね。心を込めて、愛情込めて」
「憎しみ、込めてやる」
「それはひどい」
城西の繁華街を歩きながら、わたしたちは声を上げて笑った。
果たすべき役割は果たした。後は誰かにまかせておけばいい。
わたしたちは、もうわたしたちの身の丈に合う仕事に戻ってもいいんだ、と。
そう思っていた。
その時は。
その日の午後にフォンさんへの報告を終え、わたしは法衣を脱いで通常の仕事に戻った。ローソンはギルドの二階にある仮眠用のベッドで眠っている。普段なら叩き起こすところなんだけれども、昨日は深夜までアラの訓練に付き合っていたと言うし、今朝のこともあったから、さすがに疲れたのかもしれない。今日のところは寝かせておいてあげよう。
たった半日の間に、執務室の机の上にはメモやちらしや報告書や始末書が増えていた。
「もう、また何やらかしたのよ……」
苦笑しながら、まず始末書を確認する。このギルドにとっては、始末書なんて日常茶飯事で、しかも朝飯前だ。本当に深刻なものから笑い話で済むものまで様々ある。まあ、ほとんどは笑い話なんだけれど。
今回のものも、ルビちゃんが軽く出奔したという、終わってみれば笑い話で済む程度のものだった。まったく自由人の彼女らしく、始末書の上でもあまり反省している様子は見受けられない。
フォンさんはすでに目を通したようで、閲覧済みのサインと共に『軽くお説教しておきました。』との走り書きがあった。フォンさんからのお説教があったのなら、さすがに彼女もおとなしくなるだろう。……しばらくの間は、だけれども。
わたしはくすくす笑いながらサインを入れ、それを編綴する書類専用の箱に入れておいた。
次に幹部からの報告書をめくって、大まかに目を通した。問題らしきものは特にないようだ。後でゆっくり読むことにして、それを脇にまとめて置いた。
細々としたメモやちらしに手をつけた。掲示板に貼るもの、特定のメンバーに知らせるもの、わたしへの伝言など、手早く分類して山にしていく。必要のないものはさっと目を通して捨ててしまう。以前は悩みながら分類したり、なかなか捨てられなかったりしたものだけど、今ではほとんど迷わない。
掲示板に貼るものを取り上げて、執務室を後にする。
談話室に続く廊下で、まぁくんとわかにゃんに会った。二人とも大きな袋をいくつも抱えている。
「うわー、二人して大荷物抱えて、どうしたの?」
「買い出しだよー。またモンスター襲ってきそうなんでしょ。で、フォンさんに頼まれてさ。糧食糧食」
わかにゃんがニコニコしながら袋を示して見せた。確かに、たくさんの食材や保存食が入っている。
「そっかそっか、なるほど。ご苦労さまー」
「今からおいしーいパンと、クッキー焼くからね。楽しみにしててね!」
「うん、楽しみに待ってるね!」
鼻歌交じりにウキウキとしっぽを振りながらキッチンへと歩み去るわかにゃんを見送っていると、まぁくんがこっそり耳打ちをしてきた。
「ルティさん、わかさん、張り切ってどんどん買っちゃって……ちょっと……いやかなり、予算オーバーしちゃったんだけど……これ全部経費で落とせるよね?」
「んー、それは難しいかもねぇ」
「そ、そんなぁ……これ、自腹……?」
情けない顔のまぁくん。
わたしは堪えきれずに吹き出した。申し訳ないとは思うんだけど、ついついからかってしまうんだよね。
「うそうそ。フォンさんもわかってて、少なめに頼んでるはずだよ。かえってちょうどいいくらいなんじゃない? きっと経費でいけるわよ」
わかにゃんの料理好き、そして買い物好きは、メンバー内ではちょっと有名なのだ。だからフォンさんは、予算額をいつも少なめに伝えているらしい。
「そ、そか。それならよかった」
「まぁくーん、早く早く。小麦粉そっちに入ってるんだからー」
「はーい、今行くよー」
キッチンからの督促にそう応えてから、まぁくんはまたこっそりわたしに耳打ちした。
「わかさんがゴレ出してくれたら、僕、荷物持ちしなくて済むんだけどなぁ」
ゴレ、というのは、わかにゃんの戦闘用ペットのストーンゴーレムのことだ。確かに力持ちだから、もしかしたらこれくらい持ってくれるかもしれないけれど。
「ダメだよ、奥さんにストップかけるのは旦那さんの役目でしょ。どっちにしても付いて行かないと」
「あ、そか。そだね。買い過ぎ禁止だ」
ぷっ、と二人して吹き出す。
まぁくんは、じゃあね、と言って荷物を抱え直すと、よたよたとキッチンに向かっていった。……うーん。これはやっぱり、フォンさんの予定より買い過ぎてるかもしれないな。経費で落とすよう一応わたしからも頼んでおくから、まぁくん、責任持って食べてあげてよね。
談話室には数人のメンバーがいた。高さと長さの違うツインテールが寄り添って、何かを熱心に見ている。コンちゃんとナジュさんだ。
掲示板にメモやチラシを貼り付け、いらないものを外し終わっても、二人はまだ同じ姿勢で、時折くすくすと笑い声を上げていた。
「二人とも、そんなに一生懸命、なに見てるの?」
声をかけると、弾かれたように振り向く。
「あ、ルティさん。見て見て、これ。すっごいおもしろいよ!」
「うん、ホントおもしろいの! 見て見てっ!」
二対の目がキラキラ輝いている。差し出されたのは、見覚えのあるタイトルの本だった。
第五話を読む
第三話を読む
水晶の華 INDEX
斜め向かいに座っているローソンの問いに、わたしは頷きで答えた。
わたしたちは再びキッチンに戻り、テーブルと椅子を拝借していた。少し、身体も精神も休める必要があったからだ。おかげで、震えはようやく治まりつつあった。
「あれは……怒りとか、憎しみとか、恨みとか、ねたみとか、殺意とか……そういう全ての悪感情が練り込まれたものだと思う」
テーブルの上で組み合わせた手にぎゅっと力を込めた。
先ほどのことを思い出す。
わたしは、わたしを捕らえているのはローソンだとわかっていた。そうするよう頼んだのも、自分だとわかっていた。
それなのに、魔力に浸食されたわたしの心は、一瞬にしてローソンに対する暴力的な怒りと憎しみで充たされた。その感情は、殺意を抱くまでに発展しかけていた。完全に我を失っていたら、間違いなく彼を殺そうとしたはずだ。
その考えに、わたしは再び恐怖を覚え、ぶるっと身体を震わせた。
わたしの感応力の高さが災いしたのであって、全ての人がこうなるとは限らないけれど……あの血液は、やっぱり安易に触れてはならないものだ。
「で、どんな魔術だったか、ってのは?」
「それは、わからなかった。あんな恐ろしい魔力を練り上げることができるなんてこと自体、今日初めて知ったもの。単純に人を操るだけのものなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
このことについて、わたしは簡単にメモを書いた。後から調査に来るだろう、他のギルドの人や衛兵たちに注意を与えるために。
表に出ると、昼食で交代したのか、先程とは違う衛兵が待っていた。彼はわたしたちの話を熱心に聞き取り、メモを受け取ると、必ずここへ来る全ての人たちに注意すると約束してくれた。
その足で城南の夏風将軍のところへも報告に行ったけれど、祖龍へのモンスターの襲撃に備えて打ち合わせ中ということだったので、秘書官に伝言を残しておいた。
わたしたちにできるのは、ここまで。
わたしは、入りっぱなしだった肩の力を抜いた。とたんにお腹がきゅるると鳴った。そういえば、もうお昼時だ。
「はーあ、お腹空いたなぁ」
情けない声を上げてお腹を押さえると、はは、とローソンが笑った。
「俺も腹減った。なんか食って帰るか」
「うん。……それにしても、あれね」
「何?」
「なんか鉄臭いわ、わたし」
自分の腕をくんくんと嗅いでみる。やっぱり汗に混じって、むわーっと鉄の臭いがする。
「そりゃまあ、鎧着てる奴に抱かれりゃ臭くもなるさ」
「汗かいてたから余計に?」
「んだね。もうこってりと染みついてるね」
「やだなぁ、もう。早く洗わないと。ローソン、帰ったら洗濯よろしくね」
「なんでだよ」
「だってローソンの鎧のせいだし」
「……んじゃ、ルティさんは俺の鎧の錆落とし、よろしくな」
「やぁよ。それに、錆なんて浮いてないじゃない」
「これから浮くよ。汗っかきの誰かさん抱っこしたもん」
「ううーっ、それはっ……」
してやったり、とニヤニヤしているローソン。
くっ、これはわたしの負けか。仕方ない。潔く認めて……。
「錆落としはさすがにムリだぁ。力ないもん。磨くだけで勘弁して」
「うわ、泣きついてきたよ」
「だってホントにムリだもんー」
「はいはい、じゃあきれいに磨いてね。心を込めて、愛情込めて」
「憎しみ、込めてやる」
「それはひどい」
城西の繁華街を歩きながら、わたしたちは声を上げて笑った。
果たすべき役割は果たした。後は誰かにまかせておけばいい。
わたしたちは、もうわたしたちの身の丈に合う仕事に戻ってもいいんだ、と。
そう思っていた。
その時は。
その日の午後にフォンさんへの報告を終え、わたしは法衣を脱いで通常の仕事に戻った。ローソンはギルドの二階にある仮眠用のベッドで眠っている。普段なら叩き起こすところなんだけれども、昨日は深夜までアラの訓練に付き合っていたと言うし、今朝のこともあったから、さすがに疲れたのかもしれない。今日のところは寝かせておいてあげよう。
たった半日の間に、執務室の机の上にはメモやちらしや報告書や始末書が増えていた。
「もう、また何やらかしたのよ……」
苦笑しながら、まず始末書を確認する。このギルドにとっては、始末書なんて日常茶飯事で、しかも朝飯前だ。本当に深刻なものから笑い話で済むものまで様々ある。まあ、ほとんどは笑い話なんだけれど。
今回のものも、ルビちゃんが軽く出奔したという、終わってみれば笑い話で済む程度のものだった。まったく自由人の彼女らしく、始末書の上でもあまり反省している様子は見受けられない。
フォンさんはすでに目を通したようで、閲覧済みのサインと共に『軽くお説教しておきました。』との走り書きがあった。フォンさんからのお説教があったのなら、さすがに彼女もおとなしくなるだろう。……しばらくの間は、だけれども。
わたしはくすくす笑いながらサインを入れ、それを編綴する書類専用の箱に入れておいた。
次に幹部からの報告書をめくって、大まかに目を通した。問題らしきものは特にないようだ。後でゆっくり読むことにして、それを脇にまとめて置いた。
細々としたメモやちらしに手をつけた。掲示板に貼るもの、特定のメンバーに知らせるもの、わたしへの伝言など、手早く分類して山にしていく。必要のないものはさっと目を通して捨ててしまう。以前は悩みながら分類したり、なかなか捨てられなかったりしたものだけど、今ではほとんど迷わない。
掲示板に貼るものを取り上げて、執務室を後にする。
談話室に続く廊下で、まぁくんとわかにゃんに会った。二人とも大きな袋をいくつも抱えている。
「うわー、二人して大荷物抱えて、どうしたの?」
「買い出しだよー。またモンスター襲ってきそうなんでしょ。で、フォンさんに頼まれてさ。糧食糧食」
わかにゃんがニコニコしながら袋を示して見せた。確かに、たくさんの食材や保存食が入っている。
「そっかそっか、なるほど。ご苦労さまー」
「今からおいしーいパンと、クッキー焼くからね。楽しみにしててね!」
「うん、楽しみに待ってるね!」
鼻歌交じりにウキウキとしっぽを振りながらキッチンへと歩み去るわかにゃんを見送っていると、まぁくんがこっそり耳打ちをしてきた。
「ルティさん、わかさん、張り切ってどんどん買っちゃって……ちょっと……いやかなり、予算オーバーしちゃったんだけど……これ全部経費で落とせるよね?」
「んー、それは難しいかもねぇ」
「そ、そんなぁ……これ、自腹……?」
情けない顔のまぁくん。
わたしは堪えきれずに吹き出した。申し訳ないとは思うんだけど、ついついからかってしまうんだよね。
「うそうそ。フォンさんもわかってて、少なめに頼んでるはずだよ。かえってちょうどいいくらいなんじゃない? きっと経費でいけるわよ」
わかにゃんの料理好き、そして買い物好きは、メンバー内ではちょっと有名なのだ。だからフォンさんは、予算額をいつも少なめに伝えているらしい。
「そ、そか。それならよかった」
「まぁくーん、早く早く。小麦粉そっちに入ってるんだからー」
「はーい、今行くよー」
キッチンからの督促にそう応えてから、まぁくんはまたこっそりわたしに耳打ちした。
「わかさんがゴレ出してくれたら、僕、荷物持ちしなくて済むんだけどなぁ」
ゴレ、というのは、わかにゃんの戦闘用ペットのストーンゴーレムのことだ。確かに力持ちだから、もしかしたらこれくらい持ってくれるかもしれないけれど。
「ダメだよ、奥さんにストップかけるのは旦那さんの役目でしょ。どっちにしても付いて行かないと」
「あ、そか。そだね。買い過ぎ禁止だ」
ぷっ、と二人して吹き出す。
まぁくんは、じゃあね、と言って荷物を抱え直すと、よたよたとキッチンに向かっていった。……うーん。これはやっぱり、フォンさんの予定より買い過ぎてるかもしれないな。経費で落とすよう一応わたしからも頼んでおくから、まぁくん、責任持って食べてあげてよね。
談話室には数人のメンバーがいた。高さと長さの違うツインテールが寄り添って、何かを熱心に見ている。コンちゃんとナジュさんだ。
掲示板にメモやチラシを貼り付け、いらないものを外し終わっても、二人はまだ同じ姿勢で、時折くすくすと笑い声を上げていた。
「二人とも、そんなに一生懸命、なに見てるの?」
声をかけると、弾かれたように振り向く。
「あ、ルティさん。見て見て、これ。すっごいおもしろいよ!」
「うん、ホントおもしろいの! 見て見てっ!」
二対の目がキラキラ輝いている。差し出されたのは、見覚えのあるタイトルの本だった。
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